◆連載37:戦争孤児と養子縁組。いのちのバトンタッチとその後の人生。「内密出産」を支える産婦人科医。
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   1950.6.25~1953.7.27までの3年間の朝鮮戦争によって、朝鮮半島南北を廃墟と化し、経済は破綻、韓国民を貧困のどん底に落とした。その後の1961年に朴正煕が軍事クーデターを起こし、以降、軍事独裁政権が1987年ごろまで続き、韓国では民主化運動が全国で間断なく巻き起こった。その中にあって1960年~1980年代に掛けて韓国人養子が国外へと渡って行った。

 2020年5月24日、韓国外交部は、報道資料で「国外の韓国人養子は合計16万7000人ほど、14か国に渡る。約11万人が米国の各地域に居住。14カ国の内訳は、米国、フランス、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、オーストラリア、カナダ、ドイツ、スイス、ルクセンブルク、イタリア、英国だ」と公表した。韓国政府は、今、このいのちのバトンタッチのつながりによる外交を展開していっているのだ。

 1973年4月17日、18日、石巻の新聞2誌に小さな広告が掲載された。「急告 生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」これが、全国で大論争となった、いわゆる「赤ちゃんあっせん事件」の幕開け。戸籍法、医師法に抵触する行為だとは知りつつも、赤ちゃんの命を守るための決断によるこの勇気ある行動は、世論を動かし、1987年、特別養子縁組制度を成し遂げた。赤ちゃんのいのちか、それとも、日本社会の無理解か、せめぎあいの闘いに、ついに勝ったのだ。その後の、赤ちゃんポストによる救済への理解。「内密出産」の法制化の動きにもつながる大勝利だった。

 安音は、菊田昇医師が執筆した本は、古本で購入してほとんど読んでいる。生命尊重国際会議の成立過程や舞台裏の話しも、プロライフ主催団体の事務局の方からお聞きした。1999年ピル解禁の折に、高知に拠点のある「プロライフムーブメント」のノボトニー神父と、小さないのちを守る会の辻岡代表と、平田国男医学博士を高知にお呼びする計画を立て、女性センターソーレの助成金を申請をしたが、却下。辻岡代表を小さな家庭集会にお呼びして、交流を持った。その際には、坂本龍馬の姉が始めた養護施設博愛園元園長の武田紀さんもお迎えに加わってくれた。彼女は女性の駆け込み寺を運営していた。彼女とは、心のダイヤル養成講座第一回でご一緒していた。平田国男医学博士と直接電話で話したのは、その講演依頼の時だった。彼が、「それは、何人ぐらいの講演会ですか?」と質問され、初めての試みで何の見込みもないままつき走っていたものだから何とも答えられなかった。ものすごく切迫した危機感を抱きつつ、アメリカから薬学の専門家を日本にお呼びして、厚労省の担当者に引き合わせたり、彼は、全国公演して回っていた。彼は、名古屋医大の講師もしており、たくさんの生徒さんを持っていた。このご縁で、平田博士は、ちいさないのちを守る会の辻岡代表を知ってくださり、すぐに、10人以上を小さな命を守る会の会員に導いてくださったとの話しを後で聞いた。また、その後、平田博士の感化力で、多くの産婦人科医達が、10代へのピルの処方に反対する運動を起こしており、良心的な産科医たちが、覚醒していたことを知った。

 さらに、平田博士は、自民党の山谷えり子議員への請願で、十代の子どもたちに配布した「思春期のためのラブ&ボディBOOK」を全国から回収措置まで取らせている。同様の冊子が、高知県行政が家族計画協会に依頼して創らせていたが、安音が、行政訴訟まで起こしたが、「冊子を配布することは停止」するとの口約束までは取り付けたが、回収措置までは勝ち取っていない。

 ノボトニー神父は、高知大学の教授をしながらその給料の全てを「プロライフムーブメント」の活動に出資していた。ここで、安音は、カソリック教会の資金の流れに関する実態に深く触れることになったのだ。ノボトニー神父は、カソリック教会からの資金提供は全く受けていない様子だった。事務所を無料で借りている程度であった。事務員は、信者さんのボランティアが賄っており、教会の有志からの献金はあってもである。教会会計と神父の活動とは、別扱いであるようだった。彼の活動の主体は、海外のプロライフ関連の記事や論文を翻訳して、冊子にして、全国の学校や教会関連に郵送するというもんだった。私が関わっていたその当時は、その情報をインターネット配信に移行しようとしているところだった。切手代だけでも馬鹿にならないからだろう。ノボトニー神父は、ある時、高知大学の教授の席を追われる恐れを抱いていた。その時、助産婦の築沢シスターの元を訪れ、祈ってくれと懇願したらしい。無事、その危機は乗りこえたようだった。安音は、これらのプロライフ活動家の生き様を目撃して、独自の「胎児の日」の制定運動へとつき走ったのだった。

 個別の救済に携わるのではなく、菊田昇医師のように、制度そのものに切り込む必要があるとの認識からだった。そう思っていても、個別の相談は入ってくる。個別の事案は壮絶な現場だ。中絶か、出産かのせめぎあいは、女性のマインドが、悪魔にハイジャックされるか?それとも信仰の光を繋ぐことができるかのせめぎあいの現場である。出産か、中絶かを決断するのは、女性であり、その母親の心が折れると、救済は不可能。この母子を取り巻くまなざしを変えないと、救済にはつながらないのである。